ターナーアワード2023 受賞作品発表

ごあいさつ

1990年にスタートした「TURNER AWARD」は、若いアーティストの未来・熱き想いに応えたいという想いからスタートし、今回で34回目を迎えました。まだまだ創作活動における制約の多い状況が続いておりますが、今回は例年を上回る数のご応募をいただき、たくさんの素敵な作品たちと出会うことができました。この場を持ちまして、心より感謝申し上げます。本公募展が若き才能の飛躍のきっかけとなることを一同、願っております。

審査員のO-JUN様(画家)・長尾 謙一郎様(漫画家)・山口 晃様(画家)3名による審査の結果、石井 彰さんの「夕焼けの園」が大賞に選ばれました。審査員特別賞には、大濱統太郎さんの「range flower」がO-JUN賞、益田 啓嗣さんの「無題」が長尾 謙一郎賞、そして、門田智子さんの「夢想家」が山口 晃賞に選ばれました。大賞を含む全29点の受賞作品は、東京と京都を巡回し、多くの方々にアーティストたちの創作にかける想いを感じていただけることと存じます。

今年度から審査員特別賞として、審査員の皆様のお名前を冠した「O-JUN賞」・「長尾 謙一郎賞」・「山口 晃賞」を新設いたしました。様々なアート表現が生まれ、取り巻く環境も加速度的に変化し続けておりますが、これからも「TURNER AWARD」は、若いアーティストの第一歩を応援する場として在り続けてまいります。

2024年1月
ターナー色彩株式会社

審査員コメント

  • 撮影:木暮伸也

    O JUN(画家)
    今年のアワードの応募作品は高校、専門学校、大学の別なく面白くまた興味深い作品がいくつもあった。描かれる図像やモチーフとなるイメージは相変わらず具体的な事物やそれらの変形の組み合わせが多いのは“語るように見る”ことの絵画的な変換を操作するうえでの術なのかと思う。あらためて現在は、絵画が“物語るイメージ”が前提となっているということを強く感じた。ていねいな仕事はそれをより強固に伝えるだろう。そのような完成度の高い作品や表現もあった。しかし、見えることを伝える、思いを絵にするのに他のルートはないだろうか?色彩や形や絵具の特性を“私の言葉”のように使うことに習熟するだけではなく、それ自体を疑ったり問詰めることでそこから「絵の言葉」を探ることも可能ではないか?
    大賞の作品(「夕焼けの園」石井彰)は高校生の絵だ。技術的に高い作品は他に幾つもあった。折れた複葉機の羽根のようにもへし折られた空母のようにも見える残骸、その下の蜘蛛のような腹から双眼鏡を覗く女?塗むらのある夕空、他にも意味が判然としないことが画面の至る所に描かれてある。そのどれもが言葉や意味を成さないが明瞭に描かれてある。技術的には稚拙だ。稚拙であるがこのようなイメージの接続や分断、隣接の仕方が育ってゆけば一つの技法になり得るのではないか。審査員が何度もこの絵の前で足止めさせられ首を傾げさせただけでも見応えのある作品だろう。本来は未来賞が妥当かと思うかもしれないが、先の見えぬことよりもうんと手前に引っ張ってきて現在只今の問題作とした。
    私は「range flower」(大濱統太郎)が特に興味深かった。同一の画面で二つの絵画空間が同居している。これも絵画ゆえに可能ない空間の接続形態だ。馴染まず和せず、なおコミュニケーションの方法を探ろうとする感覚を絵にすればこの状況はあたかもシェアハウスの一場として見えてくる。そしてこの絵は意外に触覚的なのだ。妙なリアリティを感じた。
    他に印象に残った作品。長尾謙一郎賞の作品無題、益田啓嗣。「私と私と私と私と私(わたしとわたしとわたしとわたしとわたし)」胡蔚嵐。「降誕」土井田穂花。「トンネル」玉田結夢。「Runaway Baby」高山流星。「Note in my body」會見明也。

    P,Sもし興味があれば、“抽象画”ではなく、「抽象」ということを自分の目の前の事物、風景、人を見て考えてみてください。来年の実りを今年以上のものにしてください。
    期待しています!
  • 長尾 謙一郎(漫画家/イラストレーター)
    一次審査に集まった600点余りの作品を見て、改めて絵画や表現の持つ「孤独」を目の当たりにし、得も言えないおぞましさを感じてしまった。
    若者が描く絵のほとんどはいわゆるピカソの「青の時代」だ。そこには世界に対する歓喜は微塵もない。
    先行き不透明な不安や焦燥、親子関係、または逃げ場所としてのマンガやアニメなどをテーマにした作品が多数見られた。自己表現ではあるが、そこにはまぎれもなくこの薄ぼんやりと混乱した現代社会が垣間見られる。
    それにしても、メディアがこれだけ進化した時代にオールドスクールな絵の具を使った表現に挑む若者を、僕はカッコいいと思う。

    大賞
    僕は漫画家ではあるが、絵の具で描く絵画を特別なものとして捉えている。絵画は意識を超えた多次元的な場にひっそり君臨する王様なんじゃないかと、僕は思う。

    この大賞に選ばれた作品の中央に描かれた人物は双眼鏡を構えて「何か」を見ている。曲解を恐れず語れば、「未来」を見ているようでもある。その周りには残骸になった空母かはたまた高速道路か、海辺に残された残骸に紛れた日の丸のようなもの。まるで世界の黄昏時だ。
    単なる曲解であることを祈るばかりだ。

    長尾賞
    僕は物語を感じさせる絵が好きだ。おそらく漫画家だからなのであろう。この作品に描かれた四人の若者のオフビート的な青春が、なんとも心地良い。手法としても面白い。このやり方で世界や時代の全てを切り取っていってほしい。それは紛れもなく絵描きの仕事だから。応募作品中、もっとも将来性を感じさせてくれる絵だったと僕は思う。
  • 撮影:曽我部洋平

    山口 晃(画家)
    特に高校生のみなさんにタイトルで苦労する方が多い様に見受けました。例に挙げて気の毒ですが、土肥優生さんの「童心」は、抽象的なタイトルが絵をその説明図に見せてしまうことで、変に腑に落ちて広がりが弱まっています。タイトルが「行き止まり」を作って絵の魅力の妨げになっている点を勿体なく感じました。一方、菊池礼子さんの「白鳥の群れ」は、見たままを題していますが、それで却って解題に囚われることなくすっと絵に入ってゆけますし、平田奈桜さんの「毒林檎」も、見たままながら象徴性の高さによる相乗的な膨らみを生んでいます。大濱統太郎さんの「range flower」は、様態の変化を含む一見絵とは無関係な熟語が、2Dと3Dがさまざまに錯綜する画面の構造を浮かび上がらせていました。絵というのは、目を導き感覚を生じさせる動態の中にありますから、タイトル一つとってもその動きを止めない様にするのが大切ですし、動きを感じ取ることでタイトルも自ずと決まってきます。制作していると、描こうとする能動と絵の声を聞く受動の調和点で自分が消えて、絵の流れを感じる感覚だけになると思います。すでに制作が教えてくれていることを押し広げてゆくと、タイトル付けに限らず、色々と解決することがあるのではないでしょうか。

    大賞作品への講評
    夕暮れの浜辺に不時着した複葉機の様であり、O-JUNさんは複葉機ではなく航空母艦に見えると仰っていたが、そうすると浜辺というより海中と海底の断面図に見えてくる。翼や機体シャフトの隙間ごとに、不連続に覗くもの。放棄された銃と国旗の様なもの。明瞭な筆致による絶妙な不明瞭さで、魅惑的なモティーフがそこかしこに描かれる。空や海の色ムラ、塗りムラの作り出す空間性。超ひも理論的な折りたたまれた次元、多元空間。ひだになった夕空や海からは、中心線を軸に90度回転すると全く別の次元が覗くのではないか。一色の範囲、ストロークと描画の関係が良い。殊更ではない、絵の自律性に従ったけろりとした軽みがある。

    山口晃賞作品への講評
    パステルカラーのユートピア絵画。夢想家の眼差しが作り出す世界は、己の異形性に応じて部分が肥大化・変態した者たちが異形のままに暮らし、夢想家は花の女王に転生しリボンの王冠を戴く。夢想家の目が画平面の外、鑑賞者の側に貼られた星型のオブジェを映すことによる広がり。パステル調ゆえの彩度による突出が無い色覚検査表のような幻惑感。輪郭の相似性を活かしてモティーフ同士が部分的に重ね合わされ、まるで形でしりとりをする様に各モティーフの形を保ったまま変容してゆく。20ミリ厚の支持体は側面にフェイクファーに覆われた鋲が打たれ、画面数箇所に貼られた傾けると黒目の動く目玉シールと共に、手に持っての賞翫に導く。
  • 敬称略、順不同